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大国主(オオナムジ) 兄弟神に殺される!再生の神社「赤猪岩神社」

兄弟神(八十神・ヤソガミ)に殺された大国主(オオクニヌシ、大穴牟遅・オオナムジ)が蘇ったといわれ、再生(生き返る)神話の舞台となった、赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)をご紹介します。

古事記』上巻(古事記は上中下巻から成ります)、『先代旧事本紀』第4巻 地祇本紀でも有名な「因幡の白兎」神話の続きの舞台となった場所です。

赤猪岩神社は、鳥取県西伯郡南部町に所在する私の大好きな神社です。

大正6年(1917年)現在地に創建された久清神社と、南部町内にある要害山頂にあった赤猪神社が、大正9年(1920年)に合祀され現在の赤猪岩神社となりました。

赤岩猪神社鳥居

神話のあらすじは、大国主=大穴牟遅(オオナムジ)が、たくさんの意地悪な兄弟神たち(八十神)に殺されてしまうお話です。

神話の「因幡の白兎」と「赤く焼けた岩に潰される」の時点では、まだ大国主の名前では無かったんですね~。

でも皆さん、大国主の名前で覚えてませんか?

今回の題名では、あえて大国主の読みを(オオナムジ)とさせていただきました。

市郎右衛門
大国主命にはいくつもの名前があります。
名前の返還は、神話「因幡の白兎」と「赤く焼けた岩に潰される」の時点では、大穴牟遅・大巳貴(オオナムジ)と呼ばれています。
大国主の名を正式に与えたのは、あの三貴神・須佐之男(スサノオ)です。
須佐之男は、それまでの大国主を葦原醜男(アシハラノシコオ)と呼んでいます(ちょっとひどくないですか・笑)。
「古事記」の神話では大国主(出雲国王)の成長を表現していると考えています(私だけ?)。

大国主は殺された!

因幡の白兎の続編!

簡単な因幡の白兎のお話

大穴牟遅(オオナムジ)には多くの兄弟神(八十神・ヤソガミ)がいました。

八十神が稲羽(因幡)のヤガミヒメを妻にしようと皆で出掛けたとき、大穴牟遅は全ての荷物を全部持たされるという意地悪を受けます。

 

稲羽の気多(けた)の岬に着くと、丸裸の兎が伏せって泣いています。

八十神は、「お前の体を治すには、海水を浴び、高い山の上で風に当たっていると良い」と教えます。

兎がその通りにすると、海水が乾くにつれて皮がひび割れ、さらに傷がひどくなってしまいました。

 

兎が痛みに苦しんで伏せっていると、そこに荷物を持たされて遅れた大穴牟遅がやって来ます。

大穴牟遅神は何があったのかと問うと、兎はこう答えます。

「私は淤岐嶋(隠岐の島)にいて、こちらに渡ろうと思いましたが渡る手段がないので、海の和邇(わに)に「お前と私とでどちらが仲間が多いか競争しよう」と話を持ち掛けました。

「できるだけ仲間を集めて気多の岬まで一列に並びなさい。私がその上を走りながら数えて渡るから」と言ったのです。

和邇は言われた通りに一列に並び、私はその上を跳んで行って、地面に下りようとする時に「お前たちは騙されたんだよ」と言うと、和邇は私を捕えて皮を剥いでしまったのです。

白兎伝説が残る因幡の浜「白兎神社」前

 

皮を剥がれて痛みに泣いていたところ、先程通りかかった八十神に言われた通りにしたら、すっかり傷だらけになってしまいました。

大穴牟遅神は兎に、河口へ行って真水で体を洗い、そこに生えている蒲の花粉(蒲黄)を取ってその上で寝ると良いと教えました(蒲の花粉は痛み止めの作用があります)。

兎が教えられた通りにすると、体は元通りに直りました。

この兎は、後に兎神と呼ばれるようになって「白兎神社」に祀られています。

兎は大穴牟遅神に、「八上姫(ヤガミヒメ)は八十神ではなくあなたを選ぶでしょう」と予言するのです。

ガマの穂を持つ大国主と八上姫ですかね?

 

「大国主」兄弟神(ヤソガミ)に殺される!

さあ、ここから怖い男の嫉妬の物語がが始まります。

白兎の予言通り八上比売と結婚した大穴牟遅を憎み、殺してしまおうと企んだ兄弟神はとんでもないことを計画します。

大穴牟遅を伯耆の手間山本(手前の山麓)へ連れて行き殺してしまおうと画策するのです。

 

兄弟神達は「珍しい赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろ」。

「そうしなければ、お前を殺す!」と言いつけて、山の麓で待たせている大穴牟遅目掛けて、火で真っ赤に焼いた岩を山の上から投げ落とします。

転がり落ちてくる真っ赤な岩を猪として受け止めようとしたため、大穴牟遅の身体がたちまちその赤く焼けた岩膚に焼き付いて、潰されてしまうのです。

説明版(説明版撮影が苦手なのです 歪み勘弁してきださい)

 

ここ!重要な記載部分です。

つまり大国主は、一度絶命してしまうのです。

この後に起きる現実ではありえないことを、神様の神話として考えるのか?

神話に込められた、真実を解き明かすのかはあなた次第です。

母神の願いにより生き返る!

これを知った大穴牟遅の母「刺国若比売命」は嘆き悲しみ、高天原に上り「神産巣日之命(カミムスビ)」に救いを求めたところ、赤貝の神「貝比売」と蛤の神「蛤貝比売」の2柱の女神が地上に遣わされることとなります。

 

ここで、 神産巣日之命について少し説明しますね、『古事記』では神産巣日神『日本書紀』では神皇産霊尊、『出雲国風土記』では神魂命と記載されます。

天地開闢の時、天御中主神・高皇産霊神の次に高天原に出現し、造化の三神の一神とされています。

本来は性のない独神ですが、造化三神の中でこの神だけが女神であるともいわれます。

また、先代旧事本紀においては、高皇産霊神の子であるともいわれます。

清水井

 

清水井(探すのに苦労しました)

 

さて神話に戻って、貝比売が貝殻で大穴牟遅の体を岩からはがし、蛤貝比売が母乳と清水井の水で練った薬を大穴牟遅の体に塗りつけます。

すると大穴牟遅は大火傷が忽ち治り、元の麗しい姿となって息を吹き返します。

私も塗って欲しい~(#^.^#)。

 

この神社の前身である赤猪岩神社の創立年代は不明ですが、現在の赤猪岩神社の地が神話の舞台であるとされていて、大穴牟遅を焼き潰して殺したとされる岩が境内に祀られています。

「記紀にも記載のない「出雲風土記」『国引き神話』の引き綱発見!」の最期にもお話しましたか、神話の遺物が本当に埋まっている事が凄いですね~。

 

でも大正時代に合祀したときには、山頂に在ったはずの旧社から持ってきたのかな?。

大国主を助けた蛤貝比売が薬を練るために水を汲んだ「清水井 (これは探しました~中々見つからなかった~汗)」、と言い伝えられている泉が、赤猪岩神社から徒歩30分の所に存在します。

さとね
なんて可愛い兎さんなんでしょう~^^
それにしても、兄弟神(八十神・ヤソガミ)って本当に意地悪なんですね~~プンプン!
現代のいじめそのものじゃ無いですか。
それに近頃は親が子供たちを虐待する痛ましい事件が多いので悲しくなってしまいます。
大国主のお母さんの愛情を見習ってほしいですね~~~~!
大国主さんは、反抗できなかったのですか?八十人もいたら多勢に無勢だったのかな~?

市郎右衛門
本当に、近頃子どもたちに対する悲惨な事件が多くて、先生も心を痛めているよ...
もっと早く対処できなかったのかとも思うケースばかりで、ずさんな対応が多いような気がするな。
それから、一つ八十神って八十人いたわけでは無いからね~(;'∀')
「八十」という数字は記紀の中では「たくさん」という意味で深い意味ではないとされているんだ、「八十」という数字は多い数の例えだね。
可愛い兎のオブジェは出雲大社の物を使用したよ!

全国で唯一「再生の神社」

全国に一つしか無いといわれる「再生の神社」

それでは、私の大好きな「再生の神社・赤猪岩神社」を写真でご紹介します。

小さな神社ですが、ここも神跡なんです。

日本の神様が生きていた証拠が埋まっている場所です。

できることなら私も再生したい!

 

大穴牟遅、「オオキナムシ」似てるかな?だけに♂の大きなミヤマクワガタが出迎えてくれました

 

どきどきしますね~呪われた猪岩~!

邪悪な猪岩を封印する!

大穴牟遅に火傷をさせた「猪に似た石」は、地上にあってこの地をを穢けがさないよう土中 深く埋められ、大石で幾重にも封印されています。

その周りには柵が巡らされ、 注連縄が張られています。

これは「厄の元凶」に対する注意を、 子々孫々まで忘れてはならないことを教えているそうです。

 

厳重に封印されてます(この石が猪岩じゃないですよ!)

 

赤猪岩神社4

地中深くに埋められているそうです  最初は猪岩がなんで四角なんだろうと思いました~笑

 

古事記に記載されているように、この地は、大穴牟遅が遭難され、母神の愛と二人の女神の手により「再生」された地とされています。

 

「再生(これもまた面白い表現です。)」の後、大穴牟遅は大国主となり、英明、温厚篤実、 仁慈博愛、堅忍不撓の精神を発揮し、幾多の辛酸をなめつつも、出雲・伯耆を本拠地として、山陰・山陽・北陸までの大王国を経営することに成ります。

三人の女神なくして大穴牟遅の再生は無く、後に大国主命となって国を経営することもできませんでした。

古事記は、女性の力無くして男性の成就じょうじゅは無いことを、後世の人々に伝えています。

今でこそ、女性の力の重要性が認識されていますが、当時から考えていたのかな~?

御朱印をもらうと?

 

+αのサービスでシールを頂き、以前の車に御守代わりに貼ってました。

 

更にまだ古代米のサンプルも頂き(赤米と黒米)玉子かけ御飯で食べました 器は全て自分で作成!(自慢か...)

 

赤猪岩神社は、「受難」「再生」「次なる発展への出立」の地として、千数百年以上の長きにわたり知る人ぞ知る神社です。

大国主命存命中は言うまでもなく、亡き後も、 この地を訪れ再起に御神性の御加護を願う人は、数あまたであったと伝えられています。

 

私が最初に訪れた10年前には整備されているとは言い難かったですが、今では駐車場が舗装され、トイレも出来て、おみやげ物と御朱印ももらえる小さなお店も出来ました~笑。

さとね
先生~!
あの平たい石の下に、大国主の神様を焼き殺した岩が在るんですね~!
掘り返して何か(着衣とか)ついてたら、DNA鑑定で沢口靖子さんか錦戸亮さんが、大国主さんが何者だったのかとか、新しい発見してくれないですか?

市郎右衛門
おいおい!さとね君~(-"-;A ...アセアセ
頼むから無茶言わないでください、それに勉強もせずにTV見過ぎじゃないか?
確かに神跡には間違いないが、皇紀2670年以上は前のお話だから...西暦で常識的に考えても1300年の「記紀」上奏、何百年前だからね。
こういう遺跡は日本人の心の問題ですよ!確かにホメロスの「イリアス」に伝えられるギリシア神話の「トロイア戦争」の例が無いことは無いけれど、そんなに軽々しく片付けられるものではありません!!!

最後に一言

「大猪岩神社」は全国で唯一の「甦り」の御利益が有る珍しい神社ですが!

もちろん神話に、ケチをつけようなどとは恐れ多くてできませんが、「古事記」が事実を元に書かれているのなら、再生が有り得たとは思えません。

私は、やはり大穴牟遅(大国主)は死んでしまったのだと思います。

しかし次の王(大穴牟遅の子孫かもしれません)が大国主として即位したと考えた方が自然でしょう。

大国主眠る出雲大社(いづものおおやしろ)

 

大国主=大出雲国の王と考えてはどうでしょう?

「再生?甦り!」「多くの妻(モテモテ大国主)」「名前もいっぱい」「古事記で須佐之男の娘と結ばれながら、須佐之男の六代後とされること」等、全ての謎に説明が着くのではないでしょうか?

市郎右衛門
今回は「再生の神社・赤猪岩神社」をご紹介しました。
最初に訪ねたのは、丁度、単身赴任で鳥取西部に赴任した時でした。
私自身も心を病んでいたことも有って、再生したいと考えたのかもしれません。
当時は本当に静かな神社(今でもそうですが)でした、「古事記」1300年を記念して、整備されたのはその後だったと思います。
わかりにくい場所ですし、当初はWikipediaの地図も間違って表記されていました(今は大丈夫です)。
是非神々の痕跡を訪れてみてください。
【最初に読んでほしい記事リンク】
いつも応援ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。

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|o´艸)。oO(Thank you)。

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