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【スクープ第一弾】古事記」「日本書紀」にも記載されない「出雲風土記」『国引き神話』の引き綱発見!の話題です。

ここではフィールドワークの大切さと神話の楽しみ方をご紹介します。

 

皆さん、「古事記」はもちろんご存知ですよね。

もう7年も前に成りますが、2012年は古事記編纂「上奏・712年(和銅5)」1300年の年に当たり、全国で関連した催しも数多く行われました。

出雲市にある「国引き神話」を題材にしたレリーフ

 

その後すぐの713年(和銅6年)に、編纂が始まった風土記も現在編纂1306年を迎えたことになるといえます。

風土記は一般的に(古風土記)と呼ばれるもので、写本として5つが現存しています。

「出雲国風土記」はほぼ完本のままで、「播磨国風土記」「肥前国風土記」「常陸国風土記」「豊後国風土記」は、一部欠損しながらも残っています。

 

その他国の風土記も存在したと考えられていますが、現在は後世の書物に逸文(失われて現在伝わらない文章)として引用された一部が残るのみとなっています。

ただし逸文とされるものの中にも、本当に奈良時代の風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在します。

つまり、「出雲国風土記」は、出雲地方誌としては「記紀(古事記・日本書紀・)」よりも、より古く詳しい可能性を示唆しているといえます。

市郎右衛門
今回は、フィールドワークの大切さをわかってもらうために、山陰の伝説的な二山に私と一緒に登ってもらいましょう。
そこから見える景色が、「出雲風土記」に記載された『国引き神話』の内容と同じなのかを皆さんに判断していただきたいのです。
それでは霊峰伯耆富士こと「大山」と佐比売山こと「三瓶山」に私と一緒に登山してみましょう。

「出雲風土記」『国引き神話』の謎

「古事記」は編纂1307年の日本最古の歴史書です。

出雲神話は、「古事記」の神話部分の半分以上を占めるともいわれています。

日本に生まれたからには是非読んでほしい「古事記」「日本書紀」の出雲神話関連部分の割合を出してみました。

実際には岩波文庫「古事記」の神話部分の頁数は58ページ、うち出雲神話の部分は15ページですから約40%くらいとなります。

一方、古典大系「日本書紀」の神話部分は112ページ、出雲神話の部分は12ページですから約10%くらいでしょうか。

日本人なら是非読んでいただきたい「古事記」と「出雲風土記」今回「日本書紀」は写真から外しています

 

原文は難しいと思う方には、「この世界の片隅で」でブレイクしたこうの史代さんの、漫画で読める「ボールペン古事記」をどうぞ

考え方や検証法に違いはありますが、出雲神話が日本神話の中心部分を占めるというのは過言ではありません。

その「古事記」や「日本書紀」に出雲の「国引き神話」は記載されていないのです。

皆さんも不思議だと思いませんか?

「出雲国風土記」って何?

太安万侶が「古事記」を撰上(編集してさしあげること)した翌年の和銅6年(713)、中央政府から各国に対して、後世「風土記撰進の命」と称される一つの命令書が下されました。

「郡内の特産物や土地の肥沃状態、山川原野の地名の由来、古老が相伝している伝承などを記録して報告せよ」というものです。

八束水臣津野命を祀る島根県出雲市「長浜神社」

 

出雲の名前の由来ともいわれる「厳藻(いつも)」出雲では古代から信仰の上で藻を神聖視した

 

それから20年後の天平5年(733)、出雲の地誌を記録した報告書が出雲の国から大和中央政府に提出されます。

この報告書が、後に「出雲風土記」と呼ばれるようになる地誌でした(出雲は他国に比べて最長の時間を要しています)。

地誌(ちし)とは、地理上の特定地域を様々な諸要素(自然・地形・気候・人口・交通・産業・歴史・文化など)を加味してその地域性を論じた書籍。 郷土誌。 また、その地域性について研究する学問分野を地誌学(ちしがく)という。 近代以後、地誌学は特殊地理学(地域地理学)、地域文化へと発展する事になった。
引用 - Wikipedia

上記したように、「風土記」として残っているのは、 写本として5つが現存し、「出雲国風土記」がほぼ完本、「播磨国風土記」「肥前国風土記」「常陸国風土記」「豊後国風土記」が一部欠損して残っているのみです。

「国引き神話」って何?

ご紹介するのは「小さな林」ですがこの林に出雲国人の矜持がかかっているというお話です。

先ほどお話した「出雲国風土記」の始め意宇郡(おうのこおり)の記述に、出雲では有名な「国引き神話」が記載されています。

記紀神話の伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)の二神が島に天下って国生みする話(淡路島ともいわれます)はよく知られています。

奈良時代の初め頃出雲では、中央政府が編纂した「国生み神話」よりも「国引き神話」が広く知れわたっていたと考えます。

「国引き神話」は、八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)という名前の巨人神を主人公にしています。

八束水臣津野命国引きの図

 

誕生して間もない出雲が、幅の狭い布のように小さい国なのを見て、八束水臣津野命神は他の国の余っている土地を引いてきて縫い足すことにします。
最初に目をつけたのが朝鮮半島にある新羅の三埼(みさき)でした(実際には、その頃には新羅はまだ建国されていません。新羅建国は紀元前57年で皇紀の神武天皇以前の神話とすると、まだということです。)。

新羅の三埼に土地が余っているのを知ると、八束水臣津野命は乙女の広い胸のような鋤で大きな魚のエラを突き刺すように土地を分け取ります。
そして大綱をかけて、河船を引くように「土地よ来い、土地よ来い」とゆっくりと引っ張ってきて縫い合わせました。その場所が島根半島西部の去豆(こず)の折絶(おりたえ)から支豆支(きずき)の御崎にかけての地域であるといわれます。
このとき国引きに用いた綱が薗の長浜(そのながはま)で、それをつなぎ止めた杭が佐比売山(三瓶山)とされています。

次いで、出雲にとって北の門にあたる佐伎(さき)国、さらにもう一カ所、良波国を同様に引いてきて縫い合わせた。その場所が多久(たく)の折絶から狭田(さだ)国、および宇波の折絶から闇見(くらみ)国です。
最後に、高志(こし)の都都(つつ、能登半島の珠洲?)から余った土地を引いてきて縫いつけました。
これが美保崎(みほのさき)であり、その際に使った綱が夜見の島(弓ヶ浜)で、綱をつなぎ止めた杭が火神岳(大山)でした。

こうして国引きを終えた神は、「意宇の杜」に杖を突き立てて「おぇ(終えるとも考えられますね)」と言われた。それで現在の郡が「意宇郡」と呼ばれるようになったといわれます。

引用 - 出雲観光協会

 

まるで語呂合わせのような苦しい地名起源伝承に感じますが、語呂を合わせるだけならば、「出雲風土記」の最初に記載する必要はあったのでしょうか?

しかし、意宇という地名の由来を説明するために、「出雲風土記」は国引き神話を長々と引用しています。

私も出雲観光協会の文章を引用させて頂きました(笑)

島根県松江市竹矢町にある「意宇の杜」は、下のGoogle mapで検索すると出雲国分寺の隣に指定されていますが、実際は出雲国分寺と安倍谷古墳を結ぶ農道の中間辺りにあります(航空写真を拡大してご覧ください)。

 

その要旨は、出雲の神・八束水臣津野命が、出雲の国は狭いので、国土を 広げようと、他国から土地を引いてきたというお話です。

他国とは、「志羅紀の三埼(新羅・朝鮮南部)」「北門佐伎国」「北門良波国」「高志の都々の三埼」であり、その結果島根半島が出来たというのです。

その際、島根半島を佐比売山と火神山に繋ぎ止めました。

そのための綱が薗の長浜(稲佐の浜)と夜見の島(現米子市は古代島で砂州でした)だというのです。

確かにアイキャッチ画像(国土地理院・高低地図)の出雲半島は、四つに分かれている様に見えますね。

ZENRINの地図で、三瓶山と大山の位置関係も確認してください。

 

国引き神話は、出雲神話の中で特にスケールが大きいお話

「古事記神話」部分の半分ともいわれるの出雲神話に「出雲風土記」の『国引き神話』はなぜ記載されていないのか不思議に思いませんか?

国引き神話は、出雲神話の中でも特にスケールが大きいお話、まさに神の御業と呼べる内容の物語です。

それ故に全くの作り話と解釈してしまいそうですが、意外にもそうとは言えません。

その理由の一つとして、神話に出てくる舞台が、現在の地形や地名と合致する点にあります。

 

この話の舞台となる出雲地方を地図で確認すると、宍道湖・中海の南側に出雲国本土があり、

北側には東西に細長い島根半島があり、この島根半島が四つの大きな地域に分かれていることに気づきます。

その地域こそが八束水臣津野命が「国来、国来(くにこ、くにこ)」と引き寄せた土地であり、

杭に見立てた三瓶山や大山、綱と見立てた薗の長浜や夜見の島など、その位置関係など神話の内容とぴたり一致するところがびっくりだと思われませんか?。

 

縄文時代、島根半島は縄文海進の影響で幾つかの島であったとの説もあり、現在の地形が自然現象で出来上がったものだとしても、これを出雲創世の神の御業とした古代出雲人の豪快な発想力には、驚かされますね。

ここでご紹介するのは、八束水臣津野命が杖を最後に突き立てて「おぇ」と叫んだ 「意宇の杜」です。

周りは意宇六社の神社もあり国府、国分寺跡もあるまさに古代出雲の都です。

私の小さな軽自動車と比べても小さい杜です!

 

タブの木?桜も交じってどれ~て感じですが、伝承というのは凄いですね!

 

ロケーションは最高!大山があんなに綺麗に見えています。いつもは山頂に雲がかかっているのに、正に神話の山です。

 

左の橋脚は山陰道で更に左に国分寺・真名井神社が在り、カメラマンの後ろ側は出雲国府跡

 

中央政府の命令書「風土記撰進の命」によって、出雲国国司は出雲国庁に出雲国造の出雲臣果安(いずもおみはたやす)を招き、出雲国風土記の編纂を委嘱します。

733年(天平5年)になって、出雲国造の出雲臣広島の監修のもと、秋鹿郡(あいかのこおり)の人、神宅臣金太理(かんやけのおみかなたり)の手によって出雲国風土記は編纂されました。

 

「記紀」に記載の国譲りで、高天原(和国)に取り込まれてしまった出雲国ですが「出雲風土記」には大出雲王国の反骨精神がみてとれるような気がします。

実際に大出雲王国が支配していた地域が、日本海側を中心に朝鮮半島から高志(北陸から新潟県)までの広大な土地だったのかもしれません。

「意宇の杜」は小さな林ですが、「古事記」編纂時には記載されなかった出雲神話を、「出雲風土記」の冒頭(総記の後最初の群条が意宇)に記載した神宅臣金太理の「まだ中央政府の思い通りにはならないぞ!」という矜持を感じるのは私だけでしょうか。

さとね
先生、「国譲り」というのは大国主命(おおくにぬしのみこと)が武御雷命(たけみかずちのみこと)に降参した話ですね。
天津神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が出雲を譲り受けたお話でしたっけ、勝ったのなら負けた国の神話を新しく書く歴史書に記載する必要なんかなかったのじゃ無いですか?
それにどうしても書く必要があったなら、インパクトの大きな「国引き神話」は絶対に入れるべきでしょうw

市郎右衛門
さとね君はなかなかいい所を突いていますね^^
そうですね、神話ですから勝った(国譲り)された側が、自分たちの持っている神話をそのまま記載すればよかったと考えますよね...
中央(大和)では、「国譲り」の後も出雲を畏れていた形跡があるので、いかに出雲の力(影響力)が大きかったわかるような気がします。
国史「古事記」「日本書紀」としては残さないけれども、地方史「出雲風土記」としては残すから我慢してよ!と頼んだのかもしれないね。

フィールドワークの重要性

「国引き神話」は現在の島根半島を出雲の神様が、新羅(朝鮮南部)と隠岐それに越(現在の北陸)から、綱で引いて来て作ったというスケールの大きな物語でした。

引き綱の柱となったのは、島根県の三瓶山と鳥取県の大山です。

そこで、両方の柱山に登山して曳き綱を確認してみることにしました。

正にフィールドワークですね~(笑)

はたして引き綱はあるのでしょうか?神話の真実とは何なのでしょう。

一本目の引き綱

先ずは、島根県の三瓶山からの眺望ですね。

三瓶山は島根県のほぼ中央部、大田市、飯南町にまたがりそびえる大山火山帯に属する火山です。

大山隠岐国立公園の一部でもあります。

主峰の男三瓶山 (1126メートル) 大山隠岐国立公園

 

ススキの草原が素晴らしく綺麗でした ススキは外来種との住み分けもされて日本海まで眺望できます

 

2003年(平成15年)の活火山の定義見直しで活火山に指定されています(休火山や死火山という分類はなくなりました)。

三瓶山は直径約5キロメートル(km) のカルデラの中に主峰の男三瓶山 (1126メートル)

登山口の駐車場から最短コースを登ると1時間と少しくらいです。

国譲りの舞台となった稲佐の浜 砂浜が海流に撓む引き綱に見える

 

左に湾曲して見えるのが、国譲りの舞台となった稲佐の浜です。

古事記、国譲りのお話の機会が有りましたら、そちらの近景もアップさせていただきます。

北の方角を向き、地理に詳しい人なら出雲大社の大鳥居もわかるかもしれません。

奥の山々は島根半島になります。

二本目の引き綱

次は鳥取県、大山(伯耆富士)からの眺望をご覧ください。

こちらは山頂標高:1729m、 登るのもそう簡単ではありません。

自然の美しさと、神話に秘められた謎が疲れた身体を一歩一歩山頂へ運んでくれます。

大山登山道(夏山登山コース)木の根がオブジェの様です

 

とっても可愛い「イワカガミ(小岩鏡)」満開

 

良い写真を求めて結局二度アタックすることに

 

大山からの引き綱弓ヶ浜の白砂

 

大山から北方、日本海側を眺めています。

弓ヶ浜!名のごとく、湾曲がとても綺麗ですね。

手前の町並みは皆生温泉街、日本海に流れ込む日野川河口部も見えます。

天気は良かったのですが、三瓶山・大山の二枚とも、少し靄(もや)がかかってぼやけているのは、許してください。

 

どちらの砂浜も、船を繋留(けいりゅう)する綱が潮に流されて湾曲しているのによく似ていると思いませんか?

まるで島根半島を繋留、牽引(けんいん)しているかのようです。

きっと古代の人々も同じように感じたのかもしれません。

市郎右衛門
さとね君、フィールドワークの大切さがわかってもらえましたか?
実際に現地に立つと、古代人の思考がありありと分かる気がしましたよ。
歴史は確かに過去のことですから、実際に見ることは出来ないけれども、当時と同じ場所に立つことで見えてくる過去の事実があるってことだね。
今年も出来る限り、現地を訪れて過去に起きた事象を検証してみましょう。

さとね
先生すご~い!
大山に二度も登山したんですか?
次のフィールドワークには絶対私もお供させてくださいね、約束ですよ!
大山の高山植物(イワカガミ)は本当に可愛いですね~~~!
今年は、私も山ガール目指しま~す。

最後に一言いわせてください

さとね
皆さん、明けましておめでとうございます。
平成31年もあと少し、私(さとね)も新たな気持ちで「市郎右衛門」先生と歴史を勉強したいと考えていますので、99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」ともどもよろしくお願いします。
新元号は何になるのかしら?M(明治)・T(大正)・S(昭和)・H(平成)は無いから、Aで始まる「安」だと思うんですよね~と考えていたら「安久」が候補に...
また、新しい歴史の始まりを体験できるなんて、ドキドキしています。

「黄泉比良坂」の神域

 

神跡「黄泉平坂」比良ではなく平と掘られています「イザナギ」と「イザナミ」がわかれるドラステックな場所

 

「黄泉比良坂」死者の世界との境目です

 

市郎右衛門
上の三枚の写真は、島根県松江市東出雲町揖屋に存在する黄泉比良坂です。
黄泉の国に妻を迎えに行ったイザナギが妻イザナミの制止を聞かずに死体を見てしまい、黄泉の国から逃げ帰った場所といわれています。
黄泉の国の「鬼の軍団」を追い払った桃の木(代わりに山桃の木)や穴をふさいだ千引(ちびき)の岩を見ることができます。
つまりこの場所の先、もしくは手前・地下が黄泉の国ということになりますね、日本神話の神跡をみられる数少ない場所です。

 

世界中に、いろいろな神話が残っていますが、実際に神々の痕跡が場所と関連付けられるのは、日本だけではないでしょうか。

この、自然に恵まれた国に生まれた感謝の気持ちと、素敵な神々のお話は、ぜひ子供たちに伝えていきたいと思っています。

本年も皆さんと一緒に歴史の旅を楽しみたいと考えている「市郎右衛門」です。

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