ブログ紹介

歴史ブログ『高天原の縁側日記』をほぼ3年間書いてまいりました。

この度『高天原の縁側日記』をWordPress に移行してリブログするとともに、新たな形でブログを継続することにしました。

それがこのブログ99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」です。

前ブログへの3年のご愛顧に感謝するとともに、私が「ブログで自分の考えを皆さんに伝えたい」と考え始めた理由について、少し書いておこうとおもいます。

 

歴史は、『今も執筆され続ける壮大な時の流れの物語』です。

その大河を遡り、禁断のIFを推察する、スリルに満ちたエンターテイメント、急な流れのむこうや落差ある滝の裏、深い河淵の底や切り立った岩肌の上は、未だ解明されない多くの謎に満ちています。

この、「大長編スペクタクルストーリー」に魅了されない人はいないですよね?(そこまで~大げさなものか~?笑)。

 

歴史好きの皆さま方、知識の点であった遠い記憶が、ある時“ふっと”つながって一本の線に変化して、改めて、歴史物語の本質に気が付く楽しみを体験された事は有りませんか?

私には、そんな経験が何度かありました。

その時の素晴しい感動を皆さんに伝えたくて、書き伝えるという方法を選びました。

私は生きているぞ~!

9年程前(2010年)仕事でストレスを抱え込み過ぎた身体が、ついに悲鳴を上げました。

一生涯付き合わなければならない「心と体の病気」にかかり、「このままでは、命の保証は出来ない」と宣告されました。

 

三ヶ月の入院を余儀なくされた私は、入院生活の間、自分の残りの人生や将来(老後)について、深く考えるようになりました。

退院の後、リハビリや家族の支えもあって少しずつ体力回復した歴史好きの私は、寺社仏閣巡りを始めることにしました。

神仏に頼ろうとしたわけでは無いのですが、これまで歩んできた人生をもう一度見つめ直して、棚卸してみようと思い立ったのです。

さらに、子どもの頃からの夢だった歴史を本格的に勉強したいとも思ったのです。

 

出会った自然に魅了されて、登山やトレッキングも始めました。

寺社仏閣巡りや史跡・城巡りの途中で、新たに知った神話や歴史・文化・風俗、そして地方地方の美味しく珍しい食べ物、素晴しい陶器や民芸品にも心を奪われました。

さらに、旅先で出会った人々や祭などなど、それらすべてが私には新鮮で、日本という国に生まれて本当に良かったと思うことができました。

「私は生きている!いいや生かさせて頂いている。」と思え、日本の自然に対する感謝と祈りが、かけがえのないものだと考えるようになりました。

是非、素晴しい日本の文化や歴史を皆さんにご紹介したい、その様な方法は無いのだろうか?と、考えるように成ってゆきました。

【今井雅之君の死】

そんな時、中学・高校と同級生だった俳優 今井雅之君が、2015年5月28日に突然病気で亡くなりました。

皆さんもご存知だと思います。

 

彼の死は、勿論同級生の一人またファンの一人としても、非常に残念んでなりませんでしたし、彼自身にはもっとやりたい仕事が数多く有ったに違いありません。

ifがあったならもっと偉大な俳優や作家となって、多くの作品を世に生み出していた事でしょう。

 

しかし私は、「彼自身は自分の生きてきた人生にけっして後悔はしていないのではないか」と考えたのです。

彼は一度たりとも振り返らず、自身が選んだ道を駆け抜けたのですから。

彼の様な素晴らしい人生はとても送られないかもしれないが、私も「今日一日」を精一杯かんばって生き、

「今日はBETTERで、明日はよりBESTな一日」を目指す、そんな人生を送りたいたいと考えるようになりました。

 

人間は、一呼吸する間にも新たな自分に生まれ変わります。

ひと呼吸前の自分にはもう戻ることは出来ないのです。

だからこそ、その一瞬一瞬を大切に生きていきたいと、考えるようになったのです(少し仏教的な考え方ですね)。

 

そして何かの方法で、私の考えや自然への感謝や祈りを、共感出来る方々へ“発信出来ないかと?”考えて、「ブログを始めてみよう」と決心しました。

当初は「何を書いたら良いのか?」「本当にこれが自分の伝えたいことなのか?」悩み、考えて苦労しました。

もちろん、私の稚拙な文章のブログなど見向きもされませんでしたし、最初の三ヶ月はコメントも全く有りませんでした。

ユーザー数が一桁の日がずっと続きました。

 

ジャンルを自分の好きな「歴史」にしたことで、歴史に興味の無い皆さんには敬遠されたのかもしれませんし、SEO対策など知る由もありませんでした。

ランキング登録した当時は、自分のブログ名を探すのに四苦八苦しました。(笑)

ブログで友達ができた~

ある日、「同じ但馬の出身なのですが…」と始めてコメントが来ました。

うれしかったですね~。

こんなブログでも見てくれている人が居たんだなと感動すら覚えました。

今では親友と言ってよいと感じるほどになった彼は、皆さんご存知のスーパーブロガー、本日の一杯-Cupmen review blog-の、◝( ꒪౪꒪)◜ケケケ…のtaka:aさんです。

 

taka:aさんは私に、多くのブログ友達を紹介してくれました。

そのブロガー皆さんの熱意と、真摯なブログへの思いにノックアウトされた私は、もっともっと頑張らなければと心に誓ったのです。

 

私のポリシーは『フィールドワーク』です!

体験した場所・物以外は書かないことを信条にしているのです。

99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」は、当然歴史が基本テーマのブログ「ですから、実際の時代を体験することはできません。

 

ですからデータは、どうしてもWikipediaやパンフレット・ご由緒書きなどに頼らざるをえません、

その代わりに、私が現地で実際に感じた事や写真を皆さんにご紹介したいのです。

事前調査不足のために重要建造物の写真一枚撮り忘れ、取材現地に二度三度と通ったこともありました。

彼らブログ友達の皆さんがおられなければ、3年にわたってブログを書き続けることは出来なかったと思います。

taka:aさんには感謝してもしきれないほどです。

 

近頃は、馬肉会も二人でまったりと開催することが多く成っていますが、いつもアドバイスを頂いてブログ制作に役立てています。

そんな出会いも有って、私のブログも「部門ランキング」上位に名を連ねるようになりました。

多くはありませんが、訪れてくださる皆さんも徐々に増えていきました。

稚拙なブログを訪れてくださるコアなファンの皆さんが、『高天原の縁側日記』を支えててくださったことに、本当に感謝しています。

「3年間のご愛顧、ありがとうございました。」

改めて、私自身のことをお話させて頂きます。

兵庫県北部、山陰但馬国生まれの私「市郎右衛門」が、大好きな日本の歴史とこだわりのブログ『高天原の縁側日記』を始めたのは、3年程前です。

「市郎右衛門」のハンドルネームを使っていますが、市郎右衛門は室町時代から続く我が家の世襲の名前です。

 

当然、明治以降は普通に名字と名前があるのですが、曽祖父は順三郎、祖父は洋一、父は重通、私は●●、おっと…笑、

江戸時代以前我が家の当主は、市郎右衛門を代々名乗っていたようです。

ですから、もし江戸時代が続いていたならば、現当主の父が18代、私が19代、私の長男が20代市郎右衛門になります。

 

そこでハンドルネームに「市郎右衛門」を使うことにしました。

「古い家です」などと書きますと、やんごとなき家柄?と考えられたり、有名武将の末裔?などと思われるかもしれませんが、そんなことでも無いのです。

ただ古いだけです。

ご先祖さまかが、長く同じ場所に住み続けてくださっただけです。

 

ルーツについて、幾らかの推測もできるのですが、江戸時代は小さな?庄屋を営んでいました。

このブログ『高天原の縁側日記』を書くという決心の中には、私の古い実家(19代を名乗る我が家の家名は、室町時代以前に遡る)を守りたいとの考えも同居しています。

そのための政策として、過疎の田舎でも発信可能なインターネットを通じて、何か出来ないか(起業したい!)と考えたのです。

 

最初の試みは、自分の発信力がどの程度なのか、まず試してみようと思い立ったて始めたのがブログ製作です。

3年を経過しまして、それなりの成果は出ていますが、けして満足出来るところには行きついていません。

稚拙な文章で、皆んを退屈させいるのかも知れませんし、そもそもテーマが万人受けしないですよね(笑)。

そこで私が選択したのが、本格的にブログ運営を学んでみる事でした。

 

先生に選んだのは、後でご紹介する「次世代起業セミナー」で、断トツ トップの実績をお持ちの100%本気の起業相談室の、ずーみーさんです。

ずーみーさんにコンサルして頂いたことで、以前のブログの内容がかなり改善されたことが、お解り頂けましたでしょうか?

【比べてみてください】

①神々をね訪ねて「出雲大社」を歩く!スピンオフ『天照大御神は卑弥呼なのか?』
②源氏と平氏はどう違う?征夷大将軍は源氏しか成れない?清和源氏発祥の地「多田神社」を訪ねて。

明らかに、シンプルで読みやすくなったと思いませんか?(笑)

そして私の弱点でもある、SEO対策を完璧なものにする為に、『高天原の縁側日記』をWordPress に移行、りブログすることにいたしました。

AMP対応や集客・SSL対応にも有利ですね。

ここで、私の尊敬する上杉鷹山公をご紹介させていただきます。

上杉鷹山[1]
(尊敬する日本人の一人上杉鷹山公)

 

歴史ブログですので、私が最も尊敬する歴史上の人物『上杉鷹山』をご紹介します。

もちろんお会いしたことは無いので、藤沢修平の歴史小説「漆の実のみのる国」からお話をさせていただきます。

 

まずその前に、うんちく自慢?から失礼します(笑)。

J・F・ケネディご存知ですよね、「アメリカ合衆国35代大統領」です。

JFKと短縮記憶していませんか?

「ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ」が本名なんですよ、知ってましたか?

 

1961年、アメリカ35代大統領に就任したJ・F・ケネデ ィは、日本人記者団からこんな質問を受けました。

「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか?」ケネディはこう答えました。

「上杉鷹山(ようざん)です。」

記者の誰もが「上杉鷹山」を知らなかったといわれています。

そんなわけ無いだろうと思うのは私だけかもしれません。

この話は大統領が本当に「上杉鷹山の名前を明言した!」の言った?言わない?で、都市伝説の様になっていましたが、2013年11月に娘のキャロライン・ケネディ元駐日大使が、

「父が、米沢藩の名君上杉鷹山を尊敬していて、あの有名な就任演説、『国が人民になにができるかではなく、貴方が国家に対してなにができるか考えてほしい!』のスピーチ作成に影響を与えました。」

と発言して、都市伝説に終止符が打たれました。

 

『上杉鷹山』と言えば、

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり(やればできる。やらなければできない。何事も、できないのは人がやらないからだ)」の名言で有名ですよね。

上杉治憲(鷹山)と重臣たちの苦闘を描いた藤沢修平絶筆の歴史小説「漆の実のみのる国」を是非読んでください。

財政に窮乏し、風紀は乱れ、亡国の危機にある名門上杉家(上杉謙信以来の名門)米沢藩を再興するべく並々ならぬ努力を重ねる治憲。

長い辛苦の中に見える未来への光が感じられたにもかかわらず、彼らの苦闘が報われ、藩の窮乏から脱する様子が描かれていないことは残念でした。

 

作者、藤沢修平の病魔が直ぐそこまで来ていたのでしょう。

藩の困窮を救うはずだった漆の実とは、優秀な人材だったのではないでしょうか?

藩政改革から殖産振興に至るまでを示した、十六ヶ年組立と呼ばれる改革案(寛三の改革)を治憲に提出するまでを描き、

鷹山と改名した治憲が、漆の実が藩の窮乏を救うという心躍った過去を思い返すところで幕が閉じられています。

 

解説によると、この三十七章が原稿用紙六枚分で終わっているのは、これが著者藤沢周平最後の原稿だからだそうです。

本来なら、あと四十から六十枚の予定だったといいますから、

著者は光を浴びた米沢藩を描きたかったに違いない、と考えられています。

 

 

さて、新しく?より分かりやすいブログのUPが始まります。

もちろん今後はこれまで恐れ多くて避けていた歴史や史跡にも挑戦します。

ブログ仲間に負けないように、今井君にも上杉鷹山にも負けないように頑張りますので、よろしくお願いいたします。

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」

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(妖怪のように歴史・文化・風土を食べつくす所存!笑、よろしくお願い仕りまする。)

 

最後に一言

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)